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2015年6月29日月曜日

ぎっくり腰と呉

前回の続きです。
母を東京に送り出し、「その間父の面倒は任せな」などとでかい口をきいた数時間後のこと。
手洗いをすませ居間に戻ってきた父が、私の目の前でバランスを崩しよろけたんですね。
危ないっと思った時には身体は動いていて、脇の下に両腕を差し込み羽交い締めにするような体勢で支えました。
しかしこれがいけなかった。

腰をやってしまったんです。
ギシッっという音が聞こえたようでした。
いやー、痛いのなんのって、半端無かったです。
いわゆるぎっくり腰だったのですが、初めてのことなので何が起こったのかまったくわからず、ジワジワ迫ってきた痛みのため脂汗が出ました。
身体を動かすことができません。
座ることもできず、かといってどんな姿勢になったら楽なのかわからず、テーブルに手をついて痛みに耐えていると、「横になっとけ」と何とか自力でイスに腰掛けた父が心配そうに言ってきました。

横になれって言われても、寝転ぶまでの行程が痛過ぎて無理、、、
だからといってこのままでもいられません。
倒れるように横になることにしました。
横になってみるとちょっと楽、しかし痛くない姿勢から少しも動けません。
母親から借りていた iPhone がポケットの中に入っていたのはラッキーでした。
すかさず叔母に連絡を入れ、救援を求めました。

ぎっくり腰経験者だった叔母は、2時間くらいで行けるから「それまで我慢して待っときんさい」と。
救急車を呼ぶかとも思ったのですが、身体が不自由な父を一人残して病院に行くのも何ですし、日本の保険証も持ってないし、、、など、とりあえずは叔母が助けにきてくれるのを待つことにしたんですね。
その間に腰痛ベルトを amazon で注文。
更に腰痛の情報を収集することにしました。

購入したのはこれ、KONAMIの腰椎固定ベルトパワフルギア。amazon jp より

東京の妹にもメールを入れました。

妹宅に着いたばかりの母親とも電話で話しました。
「何をやってるんだ、あんた、、、」と驚きつつも心配と呆れの混じったような声が。
当然ですよね。

イスに座る父のすぐ下に転がって、これからどうすれば良いのかと相談していましたが、あまりの役立たずさに笑うしかありませんでしたね(涙もろくなってる父は泣いてましたけど)。
すでになってしまったものは仕方ありません。
父は「悪いことをした」と気に病んでいましたが、今回は完全に自分のミス。
足下のおぼつかない父親が転ぶのは想定内でしたので、無理な体勢で支えようとした私の不注意が招いた結果です。
それでも想定外のアクシデントに、不幸の連鎖が自分にやって来たのかと、ちょっと恐ろしくなりました。

そして叔母が到着。
痛み止めの薬と夕飯を持ってきてくれました。
そして寝転んでいる私に、薬(座薬)をすぐに入れて来いと、、、

「嫌だ」とはもちろん言えないので、激しい痛みをこらえて立ち上がり、大人しくトイレに行くことにしましたが、立ち上がってみてびっくり。
真直ぐに立ってしまえば痛みがほとんどないんです。
むしろ寝転んだり座っているほうが痛いんですね。
ヘルニアで入院した友人が「痛みで寝られないから、夜中に部屋を抜け出してロビーの壁に寄りかかったまま立って寝てる」と言っていたのを思い出しました。
トイレに入ってとらなければならなかった姿勢は、ものすごく痛かった。

想定外のアクシデントには参りましたが、ドイツへの帰国を延ばしておいて正解でした。
腰痛のままドイツまでのフライトはもっと大変な結果を招いていたと思います。
妻にもメールで連絡を入れました。
現状が良くわからないまま、次々やって来る良くない知らせに、かなり心配していた様子です。
悪かったねー。

立ち上がれば何とか動きまわれることに気がついたおかげで、だいぶ気分も楽になり、母が帰って来るまでの数日をやり過ごせるという目処も立ちました。
翌朝ゴミ捨てのため外へ出た時、道路を挟んで家の向かいにある(まさに私のためにあるかのような)接骨院に行ってみました。

実は昨晩これこれこういうわけで、どうやら腰を痛めてしまったらしいのだけれども、、、

開くまで30分程早かったのですが、まだ若い院長先生は「今すぐで良いですよ」と言ってくださり、一番で診察してもらうことになったのでした。
足を触ったり押されたりした結果、骨や神経に異常はないとの診断が。
骨に一番近い筋肉、インナーマッスルを痛めたんだそうです。
ということで、電気と針で治療をしてもらい、痛みが取れるのに最低でも1週間以上、通常の生活に戻るには2週間以上かかると言われました。
しばらくは毎日通うこととなりました。
目の前にあるので空いている頃合いを見計らって出かけられるのが良いですね。
不幸中の幸いでしょうか。

4日程して母も帰ってきました。
その頃は痛みもだいぶ治まり、気をつけてさえいれば特に生活に問題もない程度には回復していました。
初日の痛みからは考えられない復活力。
本当にラッキーだった。
神経とかやっちゃってたら、しばらく帰れない人になってたかもしれませんもんね。

腰の痛みがだいぶ薄れた頃、呉に行ってきました。
大和ミュージアムこと呉市海事歴史科学館と、てつのくじら館こと海上自衛隊呉資料館を見学するためです。
いやー、驚きました。
てつのくじら館って、入り口に本物の潜水艦が設置されてるんですよ。
大きさ半端無いです。
何故だかまったく解らないのですが、なんとなく昔から潜水艦って好きなんですよね。
潜水艦「あきしお」
潜水艦に吸い込まれそうになる気持ちを抑え、まずは大和ミュージアムに入りました。
入ってすぐ大和の10分の1模型が飾られています。
全長26m、本物は263mなんですって。
潜水艦の「あきしお」が76mっていうんですから、大和は3倍以上です。
どんだけデカかったんでしょうか!
それにしても大和、というか戦艦っておそろしく格好良い、、、
館内には戦艦や空母の模型が数多く展示されてあり、どれも欲しくなる程素晴らしい出来でした。
模型を見て感動したのって、何か久しぶりって感じ。

大和、後から

「長門」
これらがみな、戦時中には本当に多くの人を乗せて戦っていたんですよね。
模型だから、格好良いなんて言って楽しんでられるのかもしれませんが、それでも美しい形だと思いました。
何か胸にぐっと来くるものがあり見入ってしまい、あまり写真を撮れなかったんですよね。

模型の他にもいろいろな資料が展示されています。
零戦や人間魚雷「回天」、魚雷に特殊潜航艇など、初めて本物を見ました。
「回天」の資料では寄贈者に親戚の名前がありました。
零式艦上戦闘機

いろいろ考えさせられることも多かったのですが、何か楽しかったー。
おみやげコーナーで自分に大和のTシャツを買っちゃいました。

士官の海軍カレー&大和のラムネ
隣接しているカフェにて遅めの昼食。
現在呉では、22店舗で海上自衛隊のカレーが食べられる「呉海自カレー」プロジェクトが開催中。
私が入った店は、護衛艦「さみだれ」のカレーがあったのですが、せっかくなので6時間煮込んだという大きな牛タンがのってる「士官の海自カレー」っていうのを食べてみました。
あまり辛くはないんですね。
久しく食べていなかった日本のカレーって感じでした。
普通に美味しかったです。

そして、てつのくじら館へ。
閉館間近でゆっくりできなかったのが残念でした。
機雷の掃海任務に関する展示で興味深かったです。
潜水艦「あきしお」内部にも入れました。
窓がない乗り物って何か不思議な感じ。
良い体験が出来ました。

腰を痛めたせいもあり、その後も帰国までゆっくりして両親との時間をつくることができたのは、結果的に良かったのかもしれません。
荷物の整理のため再び東京へ戻り、3日程滞在してドイツへ。
6週間はさすがに長かったですね。
帰りのフライトはちょっとだけ別料金を払いエコノミーコンフォートを予約。
空席も多く快適でした。

ドイツは日本と比べ陽が長く、風もさわやかでした。
無事に帰って来れたことが何より嬉しかったですね。

今回はおみやげが少ないかなーとか思っていたのですが、帰ってきて荷物を広げたら全然そんなことありませんでした。
居間が一瞬でメチャクチャに。
クリスマス並にいろいろもらえて子供たちは大喜び。
実家での生活も良い感じでしたが、やっぱり自分にとって家族のいるこっちがホームなんですね。

そして来月、今度は子供たちを連れての帰国が決定しました。

2015年6月27日土曜日

帰国してました。

久しぶりの更新です。
実は日本に帰ってました、6週間ほど。

今年に入ってから私の親戚が次々病に倒れ、5月には叔母の一人が亡くなりました。
飛行機のチケットは叔母が存命中に買っていたのですが、急な展開に間に合うことはできませんでした。
今回はお見舞い(父やもう一人の叔母)&法事参加のためという、ちょっと寂しい帰国となりました。
そして出国2日前、喪主である叔父も救急車で病院に搬送され大病を患っていることが判明。
続く病の連鎖、一体どうしちゃったんでしょうか?

飛行機はゴールデンウィークが終わった直後ということもあり満員でした。
只でさえヨーロッパからのフライトは長時間で疲れるのに、混んでると余計ですね。
思い切り帰国を楽しめない感じで久しぶりの成田到着。
2日後に叔母の四十九日があるため、最初は東京です。

法事は天気にも恵まれ、喪主の叔父も何とか参加でき、無事に叔母の納骨が行われました。
みんな高齢者なのでこういうことが起こるのも仕方の無いことなのですが、やはり近しい人たちが病気になっていくという状況を、自分はいまひとつ信じられませんでした。
何とも言えず寂しいですね。
叔父は次の週から入院することとなりました。

法事と見舞いのための帰国とはいえ、毎日そんなことばかりではありません。
時間をつくって八戸の友人のところへチラッと出かけてきました。
短い時間でしたが、友人との時間は何かまったりしていて良かったです。
美味しいご飯もご馳走になりました。
鯖で有名なお店で、昼の定食を。美味しかった!
こちらは東京へ帰る日の朝、魚市場で食事。

そして東京では、前回行けなかった根津美術館へ出かけてきました。
この時期は国宝、尾形光琳の燕子花図屏風が観られますからね。
しかも今年は光琳の300年忌ということで、MOA美術館から紅白梅図屏風も同時に展示されていました。
燕子花はやはり素晴らしかった。
混んでたのが少々残念でしたが、東京の美術館はどこもそうみたいですね。
根津美術館の庭園にて、燕子花
美しい庭園です。
作品鑑賞後、庭園をぶらっとして日本人の美意識の高さを再確認していると、カラスアゲハのつがいがツツジの蜜を吸いに来ていました。
そういえばドイツではカラスアゲハ見たことないですね。
いないのかな。
相方が蜜を吸うのを後方で見守っているようでした。食事中のメスをオスが待ってる感じですかね?
それから東京現代美術館にも出かけました。
東陽町に住んでいる友人を訪ねることになったので、そのついでに「山口小夜子 未来を着る人」展を観てきました。
どうゆう展示になるんだろうと思っていたのですが、なかなか見応えがありましたね。

東京現代美術館
ダニ博士、レース編み作家のKさんにも会ってきました。
ドイツのダニチーズ村を一緒に訪ねてから、彼らの間でダニチーズ熱が一層燃え上がったようですね。
6月にヨーロッパ三大ダニチーズ生産地探訪するべく、残る二つの村があるフランスへ出かけることになったんだそうです。
博士の方はある意味専門分野なのでわかるんだけど、Kさん、どっぷりハマってますね、、、
もはや作家兼チーズダニのブリーダーとなっています。
博士の研究室で彼らの旅の日程打ち合わせに付き合った後、夕食に出かけました。
いろいろな話が出来て面白かったー。
あまりに楽しくて終電を逃すことになり、博士の勧めでマンガ喫茶宿泊を初体験。
博士曰く「日本のカルチャーを知っておくべきだ」と。
まさかこんなことになるとはって感じでしたが、いろんな世界があるんですね。
マンガ喫茶はほぼ満員のようでした。
帰らない人がこんなに居るとは、、、びっくりです。

そして広島へ。
まずは瀬戸内海の島に住む叔母を訪ねました。
叔母も今年に入ってから病気になり、入退院を繰り返していました。
現在すでに病気は治っているのですが、しばらくは定期的に病院に通い、薬を飲み続けなければならないようです。
10kg以上体重が減ったそうで、そのぶん体力もかなり落ちていました。
はやく元気になってもらいたいです。

叔母のところに3日程やっかいになってから、広島市内にある実家へ出かけました。
自宅で父の介護をしている母は思ってた以上に元気そうでした。
父の方は現在は退院し、週2でリハビリセンターに通っています。
父も何とかがんばってるようですね。
ちょっと安心しました。

すると再び東京の妹から悪い知らせが。
入院している叔父には3人の兄がいるのですが、一つ上の叔父も入院することになったというのです。
胃潰瘍だったそうですが、また一人母親側の弟が入院。
こうなってくると何か不吉な力が働いているんじゃないかと思ってしまいますね。
ご先祖様がお守りしてきたという虚空蔵菩薩(コクゾウさんと呼んでました)の祠。
墓参りにも行ってきました。
自分もいずれここに入るんだなという思いがあるからか、何か不思議と落ち着く感じがします。

当初、今回の帰国は3週間を予定してチケットを取っていたのですが、病人が続出したこともあり妻と相談、帰りを更に3週間延ばすことにしたんです。

おかげで広島で両親との時間をゆっくり過ごすことができました。
その間弟達が入院している東京へ、見舞いに行ってきなと母に提案。
出かけてる間は自分が父の面倒を見ててやるから、と!

そうでもしないと、ある程度介護が必要な父を一人にして家を空けれませんからね。
しかし私も介護などまったくの未経験。
ご飯を作ったり、必要な物を取ったりするくらいしか出来ることなんてありません。
それでも何とかなるだろうと、母を東京へ送り出したのは良いのですが、その数時間後、ついに災いは私の身に降りかかったのでした。

                     (つづく)